食の會日本橋では、
日々の研究の成果を、
お食事という形で発表しています。
日本の食文化が変わった明治期を大きなテーマに、
昼は、明治期に日本料理として誕生した“洋食”を。
夜は、実は “家庭料理”という概念が生まれたのも明治時代であることから、
こだわった日本全国の食材を使い、“最上級で最高の家庭料理”を
お召し上がりいただきたいと追求しています。
蔵をまわって季節の日本酒も取り揃えています。
そして何より、歴史から紐といた、“明治時代に食べられたアイスクリーム”
“福澤諭吉が好んだ牛鍋”“日本の洋食の導入・普及に一役買ったカレーライス”など、
当時の料理本や古書からレシピを紐解き、分析して、実際に作る。という、
相対的復刻再現に挑戦し、実際にお召し上がりいただいています。
舌とストーリーで、より“美味しく”
味わっていただきたいです。
日本の食文化史の中で、最も大きな変化があったといえるのは明治期です。それまで島国であり鎖国していた日本は、他国の食文化の影響を受けて変容していくことが比較的少なかったと言えます。
その日本の“食”の流れの中で、大きな変換点となったのは、1853年のペリーの“黒船来航”です。突如、西洋の食文化を目の当たりに、どのように受け入れる、もしくは拒絶するのか。少なくとも流入してくることになりました。それまでの日本の食文化を”和食“、新しく入ってきたものを”洋食“という言葉を使って表現するようになり、それ以降日本の食文化も、新たな風が吹くようになります。そしてこの食と文化の歴史があり、現在に至ります。
明治期に日本の命運を握る最重要人物御一行を、日本側から饗宴する際、全体の総括をしたのが、今は幻の「料亭・百川」と言われています。日本が国としてはじめておもてなしする料理です。まさに日本の最高の饗宴であったといえます。また、日本橋は古くから、日本の起点であった歴史があります。人とものが溢れる場所で“文化”は生まれ発展していく…。
つまり“食文化”と切り取っても、日本橋は常に発展し続けている場所です。
全国で食に関する老舗を調べても、長い歴史と味を守る食の老舗が密集している場所が日本橋だとわかります。
日本の国としての饗宴の地、食の老舗の多い場所、文化の発展し続ける場所。
日本橋は、食文化の聖地です。
日本人がはじめて食べた
アイスクリーム
日本ではじめてアイスクリームが食べられたのは、咸臨丸に乗船して世界の船旅へ出た一行が船上で振舞われたときです。「誠に美味なり」と舌鼓を打った味を復刻再現。
ハイカラの味・文明開化御膳
肉が1200年食べられなかった日本にとって、精進料理の膳の上に「肉」がのる」ということはいかに鮮烈だったか。明治の食文化変革を1つのお膳に表現しました。
時事新報家庭欄
「何にしようか」
日本で初めて新聞に“レシピ欄”を掲載した時事新報の記事から、明治の食事を相対的再現。家庭料理の概念ができた時代の家庭料理を、箱膳でお召し上がりください。
魚河岸の歴史を込めた
佃煮盛りあわせ
18世紀世界一の都市「江戸」、五街道の起点「日本橋」で「日本橋魚河岸」は繁栄しました。その後築地、豊洲と魚河岸の歴史を青海波のお皿で味わって頂きたい。
明治初期のカレーライス
後に軍隊食になり、凄まじく普及していった今も大人気のカレーライス。日本で初めて食べられた、ジャガイモや玉ねぎが入っていないカレーライスを『西洋料理指南』『西洋料理通』から再現。
彦根藩将軍家献上
牛肉の味噌漬け
1200年禁忌とされていた肉食が解禁されたことは、日本の食文化史実にとって重要なポイントです。
しかし唯一、牛肉を薬として彦根藩が献上していたことから、味噌漬けを再現。